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第十六回 虹を見たいなら雨を我慢しなければならない



ようやく稽古も軌道に乗り始め、短時間ではあるが面をつけての稽古ができるようになってきた。


もちろんマスク、ガードを着用してだが。


案の定かなりきつい。


マスクが口に張り付き、呼吸も苦しい。


基に立つ私達も相当きついのだから、子どもたちはなおさらだ。




このような状況の中での稽古はいつまで続くのだろうといつも思う。


いや、もしかするとこれがスタンダードになるのだろう。




コロナもすこしずつ増えつつある。


これからの季節は台風も懸念しなくてはならない。


またいつ稽古ができなくなるかわからない。


試合もすべて未定だ。




この苦しい状況の中、苦しい稽古をやる子どもたち。


もちろんそれは大人である私達もそうである。




今は我慢の時期だ。


いったいなんのための我慢か?


試合などの目標もないのに。




でも、我慢や努力はかならず形を変えて戻ってくるものである。


この苦しさや辛さは、かならず自分の成長に結びつく。


試合に勝つというのも成長だ。


しかし成長にはいろいろ要素がある。


正解だけが成長ではない。


このやり方じゃだめなんだなというのも成長の一つである。


そして実は不正解を学ぶほうが成長する機会が多い。


なぜなら成功はなかなかしないから。




成長するために稽古をしよう。


そうおもえば試合がなくても頑張れるし踏ん張れる。


そしていま苦しい状況は、この状況を打破するために我慢しなくてはならない。


「虹を見たいなら雨を我慢しなければならない」


この我慢の先にはきっとすばらしい景色がある。




今こそ我慢、踏ん張るときなのだ。




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